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2人のピアニストから学ぶ超一流の仕事術について

2019.02.20

未指定

本日は週刊東洋経済にあった山口周氏のコラムのお話をします。


皆様はヴァン・クライバーン(写真1)というアメリカはルイジアナ州出身のピアニストをご存知でしょうか?

1953年、東西冷戦の最中、ソ連は科学技術面で東側の優位を証明するかのごとくスプートニク1号の打ち上げ成功を収めた後、芸術文化面でも優位を誇示するためチャイコフスキー国際コンクールを開催しました。

その記念すべき第1回大会にて満場一致で優勝をしたのが弱冠23歳の彼で、凱旋帰国後、一夜にしてアメリカの英雄となったそうです。

帰国直後にリリースしたレコードはビルボードのアルバムチャートで1位となったのですが、後にも先にもクラシック作品で1位というのは彼だけで当時の「クライバーン・フィーバー」がいかにすごかったのかを物語っています。

ところが、その後のクライバーンは利益至上主義者の興業主によって、世界中を引きずり回されることになり、じっくりと音楽性を高める勉強をする時間が取れなかったため、ピアニストとしては大成しなかったようです。

彼は1990年代にカムバックを果たしたが、その演奏を聴いた同じピアニストである故中村紘子氏は「評価の対象となるレベルに届いてはいないと思います。彼が芸術家として成熟することなく終わってしまったのは、アメリカの豊かさと楽しい生活に原因があったのではないのかと思います。」というコメントを残しています


一方、マウリツィオ・ポリーニ(写真2)というイタリアはミラノ出身のピアニストを皆様はご存じでしょうか?

彼は1960年に開催させたショパン国際ピアノコンクールで、クライバーンより2歳若い18歳という年齢で、やはり満場一致で優勝を果たしたそうです

その時の審査委員長であるアルトュール・ルービンシュタインは「今ここにいる審査員の中で、彼より巧く弾けるものが果たしているででしょうか?」と彼を称え、一躍国際的な名声を勝ち取ることに成功しました。

しかし、その後、彼は10年近くにわたり、国内のコンサートやリサイタルに限定する形で出演していたものの、表だって国際演奏活動は行わず、多忙な演奏生活に入ることを避けたようです。

健康面や腕の故障など諸説ある中で、彼自身まだ若く人間としての幅を広めたり、音楽性を高めるための研鑽が必要であることを自覚していたそうで、ミラノ大学で物理学を学んだり、アルトゥーロ・ベネデッチィ・ミケランジェリに指示するなど研鑽に励んだそうです。

提示されたコンサートの出演回数が膨大だったため、協奏曲のストック数を増やさなければならなかったことも理由の一つだったそうです。

その後、彼は国際的なコンクールにて演奏活動を再開すると、1971年には初めてレコードをリリースしましたが、振り返るとコンクールの優勝から11年後のことでした。

その後、着実にピアニストとしてのキャリアを積み重ね現在77歳となった彼は、多くの音楽家から「現在、最も高い評価を得ているピアニスト」と言われているそうです。

ポリーニの国際的な名声を利用し、世界的に有名なコンクールで演奏活動を勢力的に行うことで、短期間に巨万の報酬が得られるピアニストとしてクライバーン同様、金儲けしてやろうという興行主は後を絶たなかったはずでしたが、彼は自身が勉強不足のまま、インプットの時間を割いて多忙な演奏活動に明け暮れてしまうと、自身の音楽家としての感性が失われてしまうことを懸念していたようで、世界的名声を獲得した直後の10年間は国際演奏活動から遠ざかり、経済的報酬を伴わない活動を行っていたようです。

著者である山口氏はよく「理論歯垢の愚かさ」について言及していますが、ポリーニはコンクールで優勝以来、国際的なコンクールでの演奏活動から遠ざかり、直感的に非合理に思えるキャリアを選択した判断力は本当に賢い選択だと評価しています。

この両者の生き方を比較すると、人生の早い段階で脚光を浴び、その時期にしかできない「種まき」をするしないによって、その後の人生が変わってしまうことを意味しています

山口氏は、人生の早すぎるタイミングで脚光を浴びてしまうと、その時期しかできないインプットが不足し、その後のキャリアで、まるで泉が枯れるようにアウトプットできなくなってしまう可能性が高いと述べています。

「ライト・シフト」の著者であるリンダ・グラットンは、人生をこれまでのような「学生→仕事→余生」という3つのステージに別けるという考え方から、現在、人生100年時代と言われている中で、25歳までは「春」、50歳までは「夏」、75歳までは「秋」、100歳までは「冬」というように「春夏秋冬」の4つに別けて考える必要があると述べているそうです。

この中で、人生において、大きな実りが得られるのは秋に相当する「秋」である中年期・壮年期ということになります。

そのためには「春」から「夏」にかけて「地ならし」や「種まき」が必要になります。

このステージをおろそかにし、早すぎる時期に収穫しようとすれば、却って人生から得られる収穫量そのものが減ってしまう可能性があるので、人生50歳までは「種まき」でよいという考え方だそうです。

30~40代は稲穂は青々と実っている「夏」にあたりますが、「水」、「風」、「太陽」がまだまだ必要ですので、畑自体の面倒を見て行かないといけない時期であります。

この時期に、焦って早く「実り」つまり、アウトプットを出そうとすれば、却って自分という畑の持っている潜在的な「収穫力」、言い換えれば「可能性」を壊しかねないということになるようです。

生きる時間、つまり人生が長くなれば長くなるほど、人生はスプリントレースではなく、マラソンにシフトしていきますので、長く地道に研鑽を積み重ねられる人こそが、最後勝利するということを意味しています。


私はお2人のピアニストのお名前を存じ上げておりませんでしたが、それぞれの人生の選択は、自分自身の生き方の大きなヒントとなる大変、参考となる内容でした。



 
















2人のピアニストから学ぶ超一流の仕事術について
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