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ACP(アドバンスケアプランニング)の重要性、その実際と課題について(後編)
2019.09.14
未指定皆様こんにちは。
本日も前回に引き続き、公立富岡総合病院長 佐藤尚文先生が取り組まれているACPの実践と課題についてお話をさせて頂きます。
ACPを考えるタイミングは、「高齢になったから」「病気になったから」ではなく、若くて元気なうちから「死」を考える姿勢が大切で、例えば、「親が倒れた時」、「介護保険を申請した時」、「自分が入院した時」など、きっかけに年齢や病期は関係ないということになります。
話し合いの中で、治療方法の選択肢を並べ「この場合の治療はどうしますか?」という問いかけ方は、「治療する/しない」の二者択一になるため、ご本人の人生観や死生観が見えず、ACP本来の意味がなくなるので避けた方がよいそうです。
また、医療従事者は、患者さんが自身の人生観や死生観を話せる様に、自由回答できる様な問いかけ方をすることを心掛けているそうです。
人生観が窺える「ライフスタイルの志向」、「住まいの状況」、金銭事情において「最後はどうしたいのか?」まで決めるにあたり「患者さんのことを知ろうとすること」が何より重要なのだそうです。
得られた自由回答をベースとして、繰り返しの話し合いの中で、希望する医療やケアも見えてくるようです。
病院スタッフが退院後の療養場所を決めてしまう今までとは異なり、ACPの導入後は、「退院後、どのように過ごしたいのか?」という問いに対して、患者さんの希望に耳を傾けることにより、自宅で最期を迎える方が増えると考えられるようです。
また、ACPに取り組むにあたり、「多職種連携」が基礎となるので「情報共有」は不可欠だそうです。
同病院では、他の職種が何を行っているのかをタイムリーに把握できる対策として、医師、看護婦、MSW、リハビリ間で最低限の情報に絞り、「電子カルテ」で閲覧できるシステムを構築しているそうです。
さらに「治療する/しない」も決定事項の一つではあるものの、治療のチェックリストの羅列ではなく、患者さんの意思表示を記載できる様、自由記述欄を多く設けた「想いをつなぐノート」を作製し、活用しているそうです。
ちなみに佐藤先生は、相手に心を伝えるという意を込め、このノートの名前に「想」という漢字を選択したそうです。
十分な話し合いができれば、チェックシートに頼らなくても、受けたい医療やケアを決められる様ですが、話し合った内容についての文章化は非常に難しい作業になるので、「いつ、誰と、どんな話をしたのか」など簡単な事柄を記録することから始めるのがコツだそうです。
わが国では、団塊の世代が80代後半になると、2030年代には死亡者数が160万人を超え、その後もしばらく150万人で高止まりするという見通しなのだそうです。
更なる多死時代に、最後の最後に患者さんが望んでない救急搬送がなされるような事態を少なくするためには、かかりつけ医の先生たちが患者さんの最終段階にもっと関わることが必須で、これにより、患者さんが住み慣れた地域で希望通りの最後を迎えられる機会が増えることに繋がるのだそうです。
医療技術の進歩が寿命を延ばす結果となりましたが、現状では、人生の最終段階において本人が望まない延命治療が行われている現状も否定できず、はたして「死を医療の延長線上に捉える」という考え方は如何なものでしょうか?
苦痛を緩和して、元気でいる時間を延長することが本来の医療としての目的ではないのでしょうか?
例えば、一時期、終末期の患者さんに対して、胃瘻の増設を当然の様に行われていたようですが、安易な胃瘻は苦痛を長期化させるだけで、本人の幸せには繋がらないケースもしばしばあったようです。
「死を医療の延長線上に捉える」のではなく「死を生き方の延長線上に捉える」という考え方に変われば、患者さんが無用に苦しむことは大幅に減少すると考えられます。
つまり、「胃瘻がいけない」のではなく、「患者さんの希望に沿わない」ことが問題なのだそうです。
現状では、病院内で亡くなる人が依然として8割を超えており、自宅や施設での看取りにも医療が関わっている現実を考えると、「死を医療の問題として捉える」というのがわが国の自然な考え方ということになるようです。
同病院でも、人生の最終段階は医療だけの問題ではないという概念を医療従事者に理解してもらうことは大変だった様です。
当初は「点滴する/しない」で大きな問題になったそうですが、今では最後を迎えた患者さんの多くが点滴などの延命治療は一切、受けていないそうです。
人生の最終段階において、佐藤先生は一つの手段にしか過ぎない「ACP」ですが、まずは広まることで、多くの患者さんが「人生の最終手段」が希望に沿ったものになることを願っているようです。
患者さんファーストの立場を尊重するACPという人生の最終段階における捉え方について、医療に従事する人たちも、今一度、考え直さなくてはならない時期に来ているのではないのでしょうか?私自身も親と話し合う良いきっかけとなりました。